ダラービー:インド・ムンバイのインフォーマル市街地

このページでは、丸善出版より2016年1月に刊行予定の『グローバル時代のアジア都市論』の最新事例を随時アップデートしていきます。

■ケーススタディ:ダラービー:インド・ムンバイのインフォーマル市街地

文責 城所哲夫

近年の都市化の顕著な動向の一つとして、インフォーマル化現象ともいうべき事態が指摘できる。その背景として、グローバル化による不安定化、途上国における急速な都市化、世界最適生産システムの中で不安定化する雇用、先進国都市への国際的労働移動、社会構造の変動による不安定化、自然災害・紛争による人口移動、等が挙げられる。
インフォーマル市街地は、国家の眼から見れば違法であるとして、生活インフラ・サービスの提供の枠外におかれることになったり、あるいは、違法であるがゆえに、安定した居住の場所ではなく、短期的な利益追求の場として意識され、共同体、すなわち近隣の眼によるローカル・ルールが失われ、一方で国家による強制も働かないという状況の中で、投機的な低質で高密度の開発が進行してしまうケースも多く見られる。このように形成されたインフォーマル市街地は、未確定な土地権利、道路舗装・水道・排水等の基本的な生活インフラの未整備、災害時危険性の高い急斜面地や河川敷、沿岸への立地、脆弱な建築構造などの点で多くの問題を抱えている地域が多い。とくに劣悪な生活環境のもとにあってスラムと呼ばれるような地域もこの中に含まれる。
しかし、都市計画の観点からは、多くの国において、都市は、逆説的に、ますますインフォーマル化する(インフォーマル市街地が拡大する)という現実をみると、そもそも、近代的都市計画という方法に問題があるのでは、という根本的疑問も生じる。逆にいえば、インフォーマル市街地の形成と実態を凝視することに、むしろ、近代都市計画の限界を超える、新しい都市計画を見いだしていく契機があるのではないかとも考えられるのである。
特に、途上国都市のインフォーマル市街地は、一方で、コミュニティの維持、ヒューマンスケールの親密な空間、ローカルな生活に根ざす空間の生成、固有の文化を反映した空間的伝統、住まいとともに零細商店・工場などの働く場が一体として提供されていること、等、どの要素を欠いても、全体としてのバランスが崩れてしまうような、精妙で魅力的な空間が形成されている場でもある。これらの特質の多くは、大規模再開発によっては容易に生み出すことが難しいものであり、逆に言えば、インフォーマル市街地を杓子定規に再開発してしまうことで損なわれてしまい、地域社会の崩壊へとつながる危険性も高い。むしろ、インフォーマル市街地だからこそ生みだすことのできた精妙で魅力的な社会生態空間を生かしつつ、住環境の改善を漸進的に進めていくことが望ましく、可能なのではないだろうか。
この点について、インド最大のスラムであるムンバイのダラービー地区(面積2.16km2、人口約60万人;図1)について見てみよう。
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生活インフラについては、州政府スラム改善庁(Slum Rehabilitation Authority)より提供されたデータをもとに整理すると、トイレについては、ほぼすべての世帯が共有トイレを使用、水道は個別の蛇口を利用している世帯が約25%、それ以外は共用蛇口の利用となっている。ただし、水道は午前中のみの供給である。一方、電気は比較的整備が進んでおり、約80%の世帯が直接購入している。このように、一定の改善は進んでいるものの、生活インフラの整備は著しく遅れている状況にあることがわかる。しかし、一方で、しかし、ダラービーは、いわゆるスラムという呼称からイメージされる沈滞した地域では全くなく、実に活気あふれる地区であり、商業のみならず、服飾、皮革製品、金属加工などの零細企業が集積する一大産業地区でもある(写真1)。
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写真1 ダラービーのストリート

ダラービーの空間構成を考察する上で最も興味深い点の一つが広場の存在である。狭い路地を入っていくと、広さは様々であるが、中庭のような、実に心地のよい広場があり、子どもから大人まで、遊び、くつろぐ姿が見られる(写真2)。そこは祭りや近隣の人々の結婚式、葬式の営まれる場でもある。この広場は計画的に設置されたものではなく、コミュニティ内で、その発生の当初より、住民により営まれてきた空間であり、アンケート調査をしたところ、ほぼ95%の人は5分以内の所に住み、互いによく知っている近隣住民の集まる場である。ヒアリング調査によれば、市街地形成の初期に空地が広場として利用されていたのが、市街化が進行して建物が建て詰まるにつれて次第に狭まったものの、最終的にコミュニティ住民の冠婚葬祭に必要な最小限のスペースが維持されたものである。このような祠と広場からなる空間構成は、インドの村の中心地区に一般的にみられるものでもあり、都市と農村を意識の上でつなぐ場でもある。スラム内広場は、土地が、実体上、誰のものでもない中で(登記上は、多くの場合、公有地であるが)、いわば、お互い様の論理の中で貴重なコミュニティ空間が維持されてきた例である。
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写真2 ダラービーのコミュニティ広場

出典:城所哲夫・志摩憲寿・柏崎梢(編著)(2014)「アジア・アフリカの都市コミュニティ:手づくりのまちの形成論理とエンパワメントの実践」学芸出版社